空に想ふ

彼の人を

遠く、遠く、どこまでも

叶はぬと知って

想い焦がれる



空に最も近い人





 秋、天馬町の公民館祭がある。
 天馬町には東西南北中央にコミュニティー広場(公民館)が設けられており、秋になると、其処で活動している団体が祭りを行う。大抵は、各町内会で集めたバザー、老人会による昔の遊び体験、農協から有機野菜の格安販売、ダンスやカラオケ、作品展示、茶道・・・などといった他愛も無いものだ。
 母親にバザーの荷物もちとしてつれてこられた九龍レイは、母親の買い物が終わるまで、会場をぶらついていた。

 毎年同じものをやっているから、面白みに欠けている、とレイは思った。

 ふと、何気なく役場の建物を見上げれば、時計台から数人の顔が見えた。どうやら、時計台を一般公開しているらしい。

 天馬町の役場の建物には時計台があり、正午になると鐘が鳴るようになっている。
 役場の入り口には『時計台クイズ大会』という看板があり、看板の横にはスタッフが数名いた。
「何やってるんすか?」
「時計台の一般公開日だからね、時計台にあるクイズに答えて正解すると賞品がもらえるんだ」
 はい、とチラシが配られた。黄色の紙に印刷されているのは、注意書きと遠くの山々に、主な建物。
 スタッフの横においてあるダンボールには賞品と思しき、シャボン玉やお菓子があった。完全な子供向けらしい。
 ちらりとバザーに目をやると、母親はまだ格闘していた。レイは時計台に登ってみようと思った。






 1階のエレベーターで5階まで上がり、そこから階段を登る事数分、時計台へと続く扉を開けると、突風が吹いた。
 時計台には小学生くらいの子どもと保護者が数人、係員が2人、そして。
「―――香澄!?」
 友人の香澄がいた。
「ん・・・ああ・・・九龍か・・・」
 面倒くさそうにレイに目をやると、直ぐに視線を元に戻した。
「何やってんだよ」
 レイは香澄の隣に立つ。
「風景を見てるだけだ」
「いや・・・そういう意味じゃなくて・・・」
 レイも香澄と同じように風景に目をやったが、直ぐに飽きてしまったらしく、視線を別の場所に移した。
 地上ではそれほどでもなかった風は、5階もの高さがある時計台ではかなり激しく吹き荒れている。風が吹く度に髪形か崩れ、手ぐしなどで髪を直している人がいるが、香澄はまったく気にも留めていない。
 不意に、思った。



―――香澄は、風景なんて見ていない。



と。


 香澄の視線の先にあるのは、どこまでも続く空。

 白い雲が浮かぶ蒼い空だ。

 レイの香澄に関する知識の中で『空』が一番印象的なものだった。

 思えば、香澄は何時も空を見ていた。

 登校時にも、授業中も、ずっと。

 ずっと、空を見ていた。

 そして、唐突に思う。



 香澄は、空に最も近い人間だ、と。



 昔、まだ幼稚園の頃、レイは空に憧れた。飛ぼうと思った。

 誰しも一度は体験する、空に対する憧れ。

 けれど、空は果てしなく、飛ぶ事を許さなかった。

 レイは空を忘れた。否、レイだけではなく、ほとんどの人間は空を忘れてしまった。


 けれど、香澄は違う。


 香澄だけは、ずっと、空に憧れている。

 憧れている、とは妙な話だ。空は物体でも、ましてや人間でもない、自然なのだ。
 古代の新刊や司祭のような存在ならともかく、『神』の存在を軽視し『飛行機』と言う文明を作り、空に行く現代人に、空に対する憧れなどほぼ皆無。

 しかし、このまま香澄を放って置いたら、いつか、本当に空に還ってしまうのではないか、と危惧した。


「―――なあ」

「ん?」

レイの問いかけに、香澄は視線を逸らさず答える。

「香澄さ、行かないよな・・・?」

「何処に?」


「空に」



「行かないよ」


「そうか」

 安心した。
 香澄は空に行かないのだと。
 よく考えてみれば当たり前の事だった。
 日本人の宗教観は死んだら地獄か極楽に行く。この場合『空』は極楽の事で、それは死を意味するのだ。
 世界に絶望する事も無いなら、香澄も、自分も、まだ10代だから死ぬ事は望まないはずだ。

 しかし、レイは知らない。


 『行かないよ』の後に紡がれた言葉を。



 ―――そう、今は、まだ、空に行くわけには、いかない。




 やるべき事がある。


 そして。


 終焉を迎えるその時までは・・・。




        END


言い訳
 相変わらず意味不明・・・
 この話では、香澄がいかに空が好きなのかと言う事を分かっていただければ光栄です。