間もなく嵐がやってくる


何もかも吹き飛ばす嵐が


先駆けの風に向かい


己の行方を占っている





   第一章 嵐ノ前ノ静ケサ


 昨夜から朝にかけて降った雨の名残りか、五月であるにも関わらず、やけに肌寒く感じる。
 それでも、朝の空気は澄んでいて、昼の息苦しさを感じさせない。
 街中に置かれている花壇に、僅かに残る雫が、淡い空で輝く日の光を反射してキラキラ輝いていた。
 街には、学校や職場に向かう人々が忙しそうに駅へ向かっている。外から見るバスも人々が苦しそうに詰め込まれていた。
 それを横目で見ながら、天野香澄と神埼業は自分達の通う学校――県立遠誠高校へと歩いていた。
「電車通学って言うのは大変そうだよねー」
 そうは言ったものの、一度やってみたい、という口調だ。
香澄も業も、生まれた時からずっと町の学校へ通っているため、徒歩や自転車といった交通手段しか利用した事が無い。それ以外の方法で通学したみたい、と思っているのだ。
「『無いものねだり』だぞ、業」
「解ってるさ」
 香澄の言葉に業は苦笑する。
 同い年であるにも拘らず、香澄の言う事は、不思議と説得力があった。
 それは、その瞳の所為だ、と業は考えた。
 日本人であるにも関わらず、香澄の瞳は蒼色である。白色人種のような明るい青ではない。見方によっては、夕闇とも深海ともとれる、深い蒼だ。
 鋭利な刃物を連想させる、深い蒼の双眸は、物事の本質を鋭く見抜く眼力があり、本質を見抜くだけではなく、遥か先を見通すように業は思えた。
「近場だから登校には便利だって事はな」
 二人の通う県立遠誠高校は街から少々離れた、極普通の高校だ。
 校舎こそ一般的なつくりだが、学校の敷地はやたらと広く、開いているスペースで野菜の栽培をしているクラブなどがある。また、生徒の自主性を尊重しており、校則も比較的緩い。その為、アクセサリーをつけたり制服を着崩す生徒が多いのも事実である。
 香澄はそんな生徒の中でも異色の存在だ。
 女であるにも関わらず、常に男物の制服を纏っているからである。元々中世的な顔立ちだったが、中学を卒業する頃には凛々しい顔つきになったのだ。とはいっても、男から見たら女性、女から見たら男性に見えるのだが。



 後、二十五メートルで高校の正門といった所で、香澄は違和感を感じた。
 スーツを着た男たちが数名、正門付近に立っているのだ。彼らは、香澄達が見知った教師達とは、明らかに異なる者達だった。
「何だ?」
「さあ?」
 頭に疑問符を浮かべた生徒達が、門をくぐる。香澄と業もこの様子を不審に思いながらも、口に出さず、門をくぐった。
 教室に着くと、いつもより人が集まっていた。
 一歩、踏み出した。
 途端、ゾワリ、と身の毛のよだつ、禍々しい、得体の知れない感覚が、香澄の身体に巻きついた。その感覚は、香澄の身体を舐め回すような、気持ち悪いものだ。
「―――香澄?」
 業に呼ばれて、香澄ははっとした。
「どうかしたのか?」
「………いいや」
 軽く、右目を擦ってみる。
「………?」
 香澄の目に入ったものは、いつもと同じ教室、クラスメートの雑音だった。
「香澄、神埼、お早う」
「お早う、なっちゃん」
「はよー」
 香澄が席に着くなり、友人の鷹野夏樹が香澄の元へやってきた。
「何なのかしらね、あの門の所にいた男達は」
 やはり、夏樹の疑問もそれだったようだ。
 夏樹だけではない。此処にいる生徒達は皆、正門にいる男達に疑問を抱いているのだ。
 まるで、自分達を監視しているような―――そんな感覚。
「何か、あったのかな………」
 それは、男達に対する疑問なのか、或いは、この教室で感じた気配か。
「詳しく分からないけど、何かあったら、連絡があるだろうし」
「そう…だね…」
 その話題はそれっきりだった。
 香澄達は他愛も無い話で盛り上がり、何事も無く、朝のSHLを迎えた。 1つあいた机と、香澄の心に不信感を植え付けたまま。



   * * *


 それから三日後、滞りなく朝のSHL終了した後、生徒達は皆、体育館に来るよう指示を受けた。
『えー、皆さんに集まってもらったのは、他でもありません』
 普通ならば、朝の挨拶があるのだが、今回はいきなり本題に入った。
『三年一組在籍の三原大和君と二年一組在籍の岡島美由紀さんが、失踪しました』
 途端、生徒達がざわついた。
『静かにしなさい!…三日前の放課後、三年一組の教室で見た、という証言以外何も手がかりはありません。皆さんの今後の事もあり、あまり事件として騒ぎ立てたくありませんが、もし、連絡があったら、先生達に報告してください』
 三日前、それは、香澄が教室に入るとき、違和感を感じた日だった。
『なお、この事は無闇に口外しないよう心がけてください。臨時の処置として、学校に残れる時間は六時までとします』
 臨時の集会はそれっきりだった。
 六月に新人戦を控えた運動部はかなりの打撃となり、部員達は文句を垂れていた。
  



 その日の放課後、いつのように香澄達は図書室に集まっていた。
「三原と岡島が失踪ねー…」
 カウンターで頬杖をついている夏樹が、つまらなそうに呟いた。
「三原さんと岡島さんは有名ですからね」
 そう言ったのは、貸し出して続きをしている、二年生のの龍法寺和奈だった。
 和奈の言う『有名』というのは、三原大和と岡島美由紀がとても仲の良いカップルであるという事。否、仲の良い、などという言葉では、片付けられないバカップルだ。
「あれはある種の破壊兵器だからな」
 何かを思い出したかのように、ウガーッと九龍レイが頭をかいた。
「そうね・・・」
 図書司書の石塚雪穂が同意するかのように苦笑した。
 この図書室にいる面子はもちろん、この学校にいる全ての人間が、二人の被害―――主に精神的なもの―――にあっているのだ。
 一部の鈍い生徒は、まったく気づいていないが。
「三原さんと言えば、ずっと天野先輩を口説いていた人ですよね?」
「そーいや、そうだったな」
 一年生の如月紅の言葉に、三年生の姫神浬がうんうんと同意した。
 そんな事もあったなぁ・・・と、香澄はのんきに昔の事を思い出していた。
 三原大和は、おそらくイケメンの部類の入る、自他とも認めるプレイボーイ。岡島美由紀と付き合うまで、何かにつけては香澄を口説いていた。
「―――俺はああいった類の男は嫌いだ」
 しかし、香澄は恋愛沙汰には興味がなく、それどころが、三原のような軽い男には拒絶反応を起こすという。
「だいたい、あいつが俺に声をかけてくるのだって、暇つぶしか何かだろう?」
(うわ、マジで気がつかなかった(んですか)のか…!?) 
 香澄のあまりの場の外れた発言に、この場にいる生徒は三原大和に―――ある種の同情の涙を流した。
 この場にいる誰しもが思う。
 鈍い、と。
 この天野香澄という人物は、人間関係にかなり疎く、また、自分に好意を寄せられている事すら気づかないくらい鈍いのだ。
 「まあ、今回の事件に関しては、警察に任せるしかないだろう?」
 三年生の樹白夜の言葉に、それぞれ同意する。
 そう、この場にいる生徒は皆、問題の二人との接点は皆無に等しいのだ。 ややこしい事は、プロに任せるべきなのだ。


「香澄、どこに行くの?」
 何も持たず図書室を出て行こうとした香澄を夏樹が引きとめた。
「プリント忘れたから、取りに行ってくる」
 いってらっしゃい、と言われて、香澄は図書室を出た。
 放課後の校舎は、恐ろしいほど静寂で、窓から仕込む夕日が紅々と、校舎全体を染め上げている。
 カツーン、カツーン、歩く度に音が響き、この場所に自分しかいない事を、嫌でも思い知らされる。
 そう、事件についての話があった所為か、用のない生徒は早々と帰宅しているのだ。
 三年一組の扉は、全て閉められている。
 香澄はゆっくりと、扉に手をかけた。
 扉から掌を通して、得体の知れない―――おぞましい感覚が伝わってきた。
「っ!」
 一瞬、手を離したが、深呼吸をして、再び扉に手をかけた。
 ガラッ、勢いよく扉を開けると、淀んだ空気が、一気に解き放たれた。
その空気は香澄の身体に、まるで纏わりつくかのように、徐々に侵食していく。
 ―――気持ち悪い。
 香澄は自分の机から、忘れていたプリントを取り出し、教室を後にしようとした。
 出る前に、もう一度教室を見た。
 もし、香澄が意識して視ていた(・・・・・・・・)なら、教室に停滞している空気は、黒く、酷く淀んでいる事が分かっただろう。

「―――…」

 嵐の前の静けさだ、香澄は教室に吐き捨てた。