第二章 力無キ者


 三原大和と岡島美由紀が失踪してから一週間。
 事件は解決するどころか、失踪する者が後を絶たなくなった。 そのほとんどが仲の良いグループだった。


 放課後の図書室は異様な雰囲気に包まれていた。
 と、言うもの、香澄が無言で怒っているからである。
 事件は解決する事無く、逆に失踪する者が増加し、マスコミも面白半分に『遠誠の神隠し』などという馬鹿げた報道をしているからだ。
 おかげで、失踪した者と関係のない生徒までもが、登下校時にマスコミの取材に巻き込まれており、香澄達もその被害を受けている。
 有りもしない事を書き立てるマスコミが、香澄は厭で仕方がなかった。
 マスコミは事実を正確に伝えるべきだ、と。己の利益だけを求め、他者に迷惑をかけてはならない、と。
「…天野先輩、怖いです…」
「香澄はあんまり怒らない人間だからな…」
 いつもの席で、無言で読書に勤しむ香澄から、見えないよう本棚の影にいる業達。香澄に気づかれないよう様子を伺いつつ、ヒソヒソ話に花を咲かせていた。
「しっかし、本当に報道陣はうるさいよなー」
 チラリ、と業は窓の外を見た。正門には、カメラやマイクを構えた人々が下り、生徒や道行人々を捕まえている。
「最近、面白いニュースがなかったですからね」
 面白いニュースがないから、面白くしているのか。
 レイは溜息を吐いた。
 自分達の(精神的な)安全のために、マスコミをどうにかしなければいけない、下手に暴力を振るう事は出来ない。振るってしまえば、格好の餌食となってしまうし、香澄もそんなやり方を望まないだろう。
 だからといって、香澄の無言の圧力は、精神的に来るものがある。
「四面楚歌っていう状態?」
「え、背水の陣じゃないの?」
「どっちも違いますよ」
 二年生の燎綺羅と羅威のやり取りに、一年生の須賀天梨がすかさず突っ込みを入れた。
 誰もが願っている。
 早く、事件が解決する事を―――。


   * * *


 翌日の放課後、担任から任された仕事を終えた香澄は、真っ直ぐ図書室へ向かっていた。
 荷物を置いてきて正解だったな。
 担任からまかされた時から、時間が掛かると予想していた。だから、一旦、カバンを図書室に置いていたのだ。
 仕事が終われば、職員室に用はない。 一階から二階へ上がっていると
「天野先輩!」
 後ろから和奈が走ってきた。
「こんにちは!」
「こんにちは。和奈は相変わらず元気だな」
「元気だけがとりえですから」
 そういった和奈の頭を、軽く撫でた。
 よかった、いつもの天野先輩だ。
 事件がおきてから、無関係の人間である香澄の雰囲気が変わってしまった。それは、事件の所為ではなく、マスコミの所為で、近づきにくかった。
 香澄と和奈は中学の頃から付き合いがあった。主に部活でだが、よほどの事がない限り、香澄は怒る事はなかった。この場合、怒っているわけではないが、和奈の目から見れば怒っているようにしか見えなかった。
「どうかしたのか?」
 じっと見つめている事に気がついたのだろう、香澄は和奈を見た。
 深い、深い、蒼の瞳。
 ―――綺麗。
「なんでもないです」
「そぉか?」
「はい」
 二人は他愛もない話をしながら、階段を登っていく。

『―――■■■………』

『声』が聞こえた。 
「!?」
 慌てて周囲を見回してみるが、誰もいない。
「先輩、どうかしたんですか?」
「今…何か聞こえなかったか…?」
「?いいえ、何も聞こえませんでしたよ」
 あの『声』は、和奈には聞こえなかったのか?
「…気のせいか…」
「きっと空耳ですよ」
 和奈は笑っているが、空耳とは思えない、邪気を含んだ声を、確かに香澄は聞いた。
「あ、すみません、先輩。私、ちょっと教室に行ってきます」
「ああ」
 パタパタ…と和奈は走っていった。
 彼女の後姿が完全に見えなくなると、香澄はゆっくりと歩き出した。
 ほどなくして、二階に着くと香澄は頭を抑えた。偏頭痛もちではないはずなのに、ここ数日―――三原大和と岡島美由紀が失踪した日から、酷く頭が痛む。
 まるで、何かを警告しているかのようだ。

 ―――何を?

「天野さん?」
「先輩!!」
 声をかけられ、香澄は思考するのをやめた。
 雪穂と天梨が階段にいたのだ。
「どうかしたの?」
「あ、ちょっと―――…」
 
 ドンッ

 何かが壊れるような音が、三人の耳に響くと同時に、地震のように校舎―――大気が揺れた。

 ドクン

 香澄の鼓動が高鳴った。
 それは、運動した時のような高揚感とは違う、何かに対する畏れ。
 今まで感じたことのない、逃げ出したくなるような、純粋な恐怖。
「先輩………」
「静かに」
 泣きそうな天梨を静止させ、ゆっくりと正面を見据えた。
 自分の後ろで、ただ、恐怖に怯える二人を守るかのように。
 
その恐怖に飲み込まれないように。
 静寂、けれど、鋭利な刃物を連想させる蒼い瞳―――見方によっては、騎士とも獅子とも取れる強さを秘めた瞳を、一瞬閉じ、再び見開く。
 ゾワリ、得体の知れない何かが、大気中で蠢き、ねっとりと周囲を取り囲み始めた。
 香澄は小指と薬指を手の中に折り曲げるように入れ、人差し指を天に突き出すように伸ばした。 その指に中指を絡ませ、親指をあわせる。
 合掌しているようだ。
 そして。

「オンマリシェイソワカ」

 香澄の口から、真言が発せられた。
 フワリ、柔らかな風が、三人を包み込む。
「オンマリシェイソワカ」
 ゆっくりと言葉―――姿を隠すといわれている、仏教で支天の位を持つ女神、摩利支天の真言が紡がれ、その度、風が駆ける。
「オンマリシェイソワカ」
 三度目の真言を唱え終えると、周囲は元の学校らしい雰囲気に戻っていた。
「先輩、今の―――………」
 天梨が言い終える前に、香澄は手当たり次第、教室の扉を開けた。
 ガラッ!
 二年一組―――和奈の所属するクラスの扉を開けた。途端、むせ返るような濃厚な空気が、香澄の身体をかすめた。不覚にも、一瞬目を閉じてしまい、再びその瞳を開け、香澄は愕然とするしかなかった。
「天野さん?」
「先輩、どうかしたんですか?」
 雪穂と天梨の問いに、香澄は答えなかった、否、答えられなかった(・・・・・・・・)
 そこには、本来いるべきはずの、先刻まで一緒にいた和奈の姿はなく、代わりに、真っ白な紙とひしゃげたカラーペンがあるだけだった。
 香澄は、その鋭い瞳で、その空間を睨みつけた。