少しだけ待っていて 聖・ヴァレンタインデー。 世界各地で男女の愛の誓いの日とされる日。 本来はローマ皇帝の迫害下で殉教した、聖ヴァレンティヌスに由来する記念日である。 西洋では男女問わずカードやお菓子を配る習慣があるが、日本では製菓業界の陰謀か、チョコレートと共に女性が男性に愛の告白をするのが習慣となっている。 大型高性能ヘリ「わしたか」機長である五十嵐恵子は悩んでいた。 原因は、彼女の手にあるチョコレートだった。 テレビや雑誌で取り上げられる某有名店の、バレンタイン用に売り出されたチョコレート菓子。普段は立ち寄らないその店に、2月12日の仕事帰りに寄った五十嵐はそれを購入した。 自分らしくない、と思いつつも、やっぱりあげたい、という思いが彼女の中にはあるのだ。 2月14日は五十嵐の通常勤務である為、航空基地に勤務しなければならない。 そして。 (さんも勤務だったわね) 五十嵐が思いを寄せる人物―――もまた、通常勤務であった。 寡黙であり孤高を好み、しかし義理人情に厚く、決断力と判断力に優れた頼れる男。それが特殊救難隊第二隊隊長のである。 トッキュー隊員はもとより、基地長や専門官、整備士などから信頼され、『神兵』と謳われる真田甚も尊敬している人物だ。 そんなに五十嵐は惚れている。 一人で観覧車で酒を飲んだりする意外に男らしい一面がある五十嵐だが、やはり好きな人の前では女性らしくありたい、と思い、チョコレートを購入したのだ。 どうしようかと悩みつつも、直ぐに2月14日のバレンタイン当日になった。 いつもどおり航空基地に勤務してきた五十嵐は、その雰囲気に飲み込まれてしまいそうになった。 バレンタインは女にとっても戦いだが、男にとっても戦いなのである。義理でもよいから好きな人に受け取って欲しい、好きな人から貰いたい、という雰囲気が分かりやすいのだ。 受付の女性たちは目と鼻の先にあるトッキュー基地をチラチラと見ている。彼女らも、に渡したいのだろう。 寡黙であり孤高を好むだが、基本的に女性や子ども、老人には優しく、彼に惚れている女性職員は割りと多いのだ。 そんな光景を見ながら五十嵐はそのポーカーフェイスを崩さす、昨日頼まれた書類製作を行っていた。 この書類は―――トッキューの隊長の誰かに渡す書類だ。 早く終わらせて、に渡したいというのが五十嵐の願いである。 そして、書類製作が終わった五十嵐は部下に声をかけて航空基地を出て行った。もちろん、服のポケットにチョコレートを忍ばせておくのは忘れていない。 トッキューの基地にやってきた五十嵐が最初に向かったのは、待機室だ。 隊員達は基本的にここで過ごしており、も新聞か本を読んでいるか、テレビをボーっと見ているか、部下たちや他の隊長たちと話しをしているかのどれかである。 案の定、は真田や黒岩と話していた。 「さん」 声をかけると、はい?という声を共にが五十嵐の方を向いた。 「これ、この間の事故の資料です」 五十嵐が書類を差し出す、礼を言いつつは受け取った。 「ああ、ありがとう」 普段は用件を終えると立ち去る五十嵐が、この時は立ち去ろうとせず、何か言いたそうである。 『・・・』 その様子を見て、黒岩は待機室を見回し、目で合図をした。 すると、 「なあ、弁当かいに行かないか?」 「すみませ〜ん、ちょっと出かけてきますね〜」 「ちょっと話があるので、外に行きますか」 と、隊員達は待機室から出て行った。 そして、残されたのは、五十嵐とである。 「・・・?」 は全く分かっていないのか、頭に疑問符を浮かべている。 一方の五十嵐は、余計な気を使われてしまった、と思っていた。 自分ではに対する恋心を隠していたつもりだが、どうやら、目敏い隊員たちには気づかれてしまったようだ。無論、はその事に全く気づいていないようだが。 「あの、さん・・・!」 しばし沈黙が続いたが、五十嵐がその沈黙を破った。 「これどうぞ」 五十嵐は上着のポケットからチョコレートを取り出し、に渡す。 「バレンタインデーなので・・・」 受け取ったはしばしそれを眺めた。 「ありがとう」 ふんわりと、まるで春の陽だまりのような笑顔では五十嵐に礼を言った。 その笑顔に、五十嵐は思わず見惚れてしまう。 「い、いえ・・・いつもお世話になってますから」 違う。 本当は。 「さん」 「ん?」 「もう少しだけ、待っていてください」 もう少しだけ、あなたに本当の気持ちを伝えられるまで。 END |